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自己紹介(専務)

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3)夫と共についに開業!行列ができる洋菓子店、半年後には…

3)夫と共についに開業!
行列ができる洋菓子店、
半年後には

 

夫がそう言うなら、夫にかけてみよう。

それから二人で開業プランを練り、復帰するはずだった翌年4月には、夫の生まれ故郷である広島・瀬戸田でケーキ屋さんを開業していました。


 

開業にあたっては神戸で開業するプラン、瀬戸田で開業するプランなど、いくつかシュミレーションしました。

夫が得意な焼き菓子。

瀬戸田には日本一の生産量を誇るレモン。

競争の激しい神戸では、若い私達では勝てっこない。

瀬戸田なら、神戸ほど激しい競争はないし、攻撃されにくい。

人口が減少して行く地域でも、焼菓子で、日本一のレモンを使ったものであれば、全国に発送できる。勝負できる。


 

これが瀬戸田での開業の決め手となりました。


 

オープン初日は、

「瀬戸田にこんなに人がいたんだね」

と言われるほどの行列。

プリンは毎日100個、飛ぶように売れました。

寝ずに作り続ける夫。

慣れない島暮らしで姑とこどもに翻弄されるわたし。

がむしゃらにがんばった約半年後…

気がついたら売上はオープン初月の半分になっていました。

 

2018-12-25 22:57:18

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2)突然、将来が不安になった、産休&育休。復帰したら、どんな生活?

2)突然、将来が不安になった、産休&育休。
復帰したら、どんな生活?

…と同時に、パティシエである隆ちゃん(当時の彼氏)は疲れ果てていました。

実は私が就職する前、パティシエの隆ちゃんは小さな個人洋菓子店で働き、将来は開業したい、と夢を語っていました。

「開業したいなら、もっと大きなお店も経験しておくべきだよ」

と、世間知らずのわたしの意見に素直に従って、神戸市内の大手洋菓子店に転職した隆ちゃん。

朝から夜中までのハードワークに加え、個人的な技術練習。

いつ寝てるんだろ。

大丈夫かな。

私に言われるがまま、厳しい世界に身を投じ、頑張っている彼の姿をみて

「わたし、大変なこと言っちゃった。わたしのせいで、過労死したらどうしよう…」

と思いつめて、就職して2年目で結婚することにしました(笑)


 

結婚したらすぐにこどもを授かり、入社3年目にして、当時、産休をとった事例のない部署で妊娠報告&産休申請。

周りの上司、同僚に大変な気を使わせ、産休&育休に突入しました。


 

「育休後、復帰しても、ちゃんと仕事ができるよう、マーケティングを勉強しておこう。」出産前、わたしは必死でマーケティングの本を読み漁りました。

「ねえねえ、今日読んだ本にね、こんなことが書いてあったよ」

夫に会う度、そんな話をしていました。

そんなある日、

「その知識、会社に戻って使うより、僕のために使ってくれないか」


 

もともと開業したいと言っていた夫。

そのために私の意見に沿って、思い切って転職。

ぼろぼろになってゆく夫。

なかなか増えない夫の収入。

わたしが仕事復帰したら、収入もわたし、子育てもわたし、家事もわたし。

夫、なんのためにいる?

という状況は目に見えていました。

2018-12-25 22:34:10

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1)いろいろあったけど、順風満帆の人生。『私は夢を叶えられる』

1)いろいろあったけど、順風満帆の人生。
『私は夢を叶えられる』


「スポーツにずっと関わり続けたい」

兵庫県で生まれた私は幼い頃から兄弟3人とも足が速く、運動会ではみんな揃ってリレー選手。

そんなスポーツ一家に生まれた私は中学校からバスケを始めました。


 

1年生からいきなりレギュラー。

上級生とも仲が良く、兵庫県代表のセレクションが近づいた中学2年生の夏。


 

試合中に「ボキッ!」という膝の音とともに倒れ込み、気が付いたら病院にいました。

左膝の靭帯を断裂し、手術が必要になったものの、遠くの大きな病院へ行けるほど、裕福な家庭でもなかったため手術して治すことはできませんでした。


 

私が小さい頃、いとこがバスケでインターハイ準優勝していたため、将来はバスケの選手になるんだ!と夢見て、高校もいとこと同じ県内の強豪校に行きたかった私は将来に希望が持てなくなりました。

大好きなバスケをする度に痛む膝。


 

どうしたら大好きなスポーツに関わり続けることができるんだろう…。

ふと足元をみると、そこにはいつもアシックスのバスケットシューズがありました。

「そうか、スポーツ用品メーカーにいけば、一生、スポーツに関わり続けられるんだ」

早速アシックスについて調べ始めると、本社はなんと神戸。

しかも、私の大好きなバスケットシューズをつくるところが会社の原点だったとか。

大きな雲の上の存在だった会社が一気に身近になりました。


 

バスケの強豪校に行くことをあきらめ、地元の進学校に通い始めた私は、毎日新聞やテレビなどでアシックスの情報を探す日々。

当時はインターネットもない時代。

たまたま新聞でアシックスの会長である鬼塚喜八郎さんが講演会をするという情報をみつけました。

このまたとないチャンスを掴みに行こう、と講演会に参加。

高校生の参加者が相当珍しかったのか会長のお知り合いの方らしき人が私を会長に紹介してくれました。


 

メールもない時代、頂いた名刺の住所に直接手紙を書きました。

「わたし、アシックスで働きたいです」

怖いもの知らずの高校生。会長になぜか直談判(笑)

親切にもお返事が来たのはロシアからのエアメール。

私もビックリしましたが、両親が一番驚いていました。

「あなたが希望するなら、喜んで考えましょう。でも、大学へ行くことも、よく考えて。

返事はそんな内容だった気がします。

両親に相談したら、「家から通える、公立の大学なら、何とか行かしてやれる」

裕福な家庭ではない、両親の精一杯の回答だったのだと思います。

家から通えて、スポーツに関連する学部があるのは、神戸の国立大学のみ。

志望校は1校しかありませんでした。


 

高校3年生の始めに受けた模試の結果は「E」=合格見込みなし。

夜はテレビなどの誘惑に負けそうになるので、20時に就寝し、誰にも邪魔されない朝3時におきて勉強する日々。

受験するお金ももったいないので、受けたのは1校だけ。

一番始めに応募書類が届いたのか、受験番号は1番。

学科はほどほどに、実技で個性を猛アピールし、何とか合格しました。


 

大学に通いながら、近くで膝の手術ができる病院がみつかったので、念願の靭帯再建手術…からの復帰直後、反対側の靭帯を断裂。

やっぱりスポーツを続けることは向いてなかったんでしょう。

大学4年間の間に勝手にこちらから就職活動。

たしか、1年生の時は新卒の募集すらしていなかったにも関わらず。

運も味方してか、わたしが大学3年生の時には新卒採用が再開され、念願のアシックスに入社することができました。


 

就職してからは、スポーツ用具の企画開発をさせてもらい、10年経った今でも販売され続けているうロングセラー商品を開発。

将来は社内で新しい事業を立ち上げてやるぞ!と、勝手に意気込んでいました。

2018-12-25 22:15:21

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